日本でロックするとはこういうこと
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先日、某国営テレビっぽいテレビ局で、0ザ・ビートルズのムーヴメントを中心に描く20世紀を振り返る映像ドキュメンタリーをやっていた。そこには東西冷戦下における東側社会主義陣営の若者たちが、西側のロックを聴くことさえ禁止されており、自らの手でエレキギターを作ったり、ビートルズのコピーやカバーを密かにやっていたという話を紹介していた。西側で若者達が熱狂していた同時期に、それらロックミュージックに対して東側の若者は渇望と云えるほどの欲求があったことがよくわかるエピソードだった。それだけザ・ビートルズの影響力は大きかったのだといったことを伝える内容だった。
一方、日本の現代の若者は、そんな大昔の共産圏の若者達をみて遠く知らない世界のことのように感じるのかもしれないが、数十年前の日本だってあまり変わらない状況だった。ただ政府や当局がロックを禁止していなかったというだけで、当時の日本人の多くも西洋のロックンロールという「黒船」を前にして、ほぼ同じような強烈な憧憬と畏怖をもって迎え入れるしかなかったはずだ。
管理人はザ・ビートルズが来日した1966年生まれのため、そこまでリアルタイムに強烈なビートルズの熱狂的なムーブメントをリアルに体験していないが、思春期へと成長するに連れて音楽的なアイデンティティーを育んでいく中で、やはり「洋楽」というものには、抗うことのできない「憧れ」を感じると同時に、東洋の田舎者にしてみれば、決して同じ土俵には立てないのだろうという、やや諦めにも似た劣等感みたいなものもどこかにあったように思う。リスナーとしてもプレイヤーとしてもロックを突き詰めたところで、所詮それはイギリス人やアメリカ人からの借り物であって「まがいもの」しかならない、といったような感覚だ。
周囲に当たり前のように英語や洋楽が溢れ、日本人が多く海外でも活躍する姿を見せてくれる現代においてはまるで理解できない感覚だとは思うけれど。
しかしそんな時代にあっても、劣等感などより先にロックを自分達もプレイしたいという欲望が先に立った者達は次々と率先してギターを手に歌い始める。
そうした者たちによって、日本でもグループサウンズやシンガーソングライターといった言葉でアーティスト達が多数輩出される時代を経て、やがては和製ロック誕生へとシーンは進化していく。そうしたなか70年代に入ると福岡を中心に次々と和製ロックバンドが誕生。いつしか彼等は「めんたいロック」と呼ばれるほどの一大勢力となっていった。
サンハウスやシーナ&ロケッツ,ARB,TH eROCKERS, THE MODS、そしてルースターズなどがそれだ。
とりわけ管理人にとって、ルースターズのファーストアルバムは強烈な印象を残した。そのジャケット写真に写っているのは明らかにヤバい風貌と危ない雰囲気を漂わせていたし、アルバムのトラックリストにはズラリと英語のタイトル(カタカナだけど)が並んでいるのだ。こんな日本人のバンドがいたんだという印象がまず最初で、レコードをターンテーブルに乗せて初めて聴いた時の衝撃は忘れられなかった。
例えそれが「ロック」なんだと自称していたとしても、どこかで必ず唄メロを聴かせなければという大目的に帰結するのが現在においても脈々と続く日本のお家芸だと思っている。それは決して揶揄しているのではなく、それこそがJ-POPや和製ロックの良さであるし、日本が誇るべきアイデンティティーのひとつだと管理人は思っている。
もちろんルースターズも、決してその範疇を超えるというものではなかったのだが、明らかに彼等が違ったのは、客に向かって(レコードの場合はそのオーディエンスに対して)自分達の唄を届けるといった感覚ではなく自分達が気持ちよく唄ってビートを刻めば良いのだという明確な意思をそこに感じたことだった。そうした敢然とした彼等の意思を聴き手に感じさせておきながら、聴き手のほうはと云うと、いつの間にか大江の唄に引き込まれ彼等が刻むビートに自然と身体が動いてしまうのだ。
初めてルースターズを聴いたときに感じた違和感と強烈な衝撃がまさにそれだった。彼等のこのファーストアルバムにはそうした聴き手を突き動かす衝動のようなものが時代を超えたいまでもちゃんと残されている。
しかし商業的に決して成功したわけではない彼等の名前が、その後多くのフォロワーや名だたるアーティスト達から「リスペクト」として挙がっていたとしても、あるいはルースターズの伝説が我々ジジイ達がいくら熱く語ろうとも現代の若者にとってはなかなかピンと来るものはなかっただろう。
なぜならルースターズのサウンドは、ラジオでオンエアされることもなくYoutube動画にも殆ど存在していないし、サブスク配信サイトにも一切曲は登録されていなかったからだ。そうした状況が長く続いていたため、彼等はもはや伝説のロックバンドではなく、幻のロックバンドといってもいいような存在になりつつあった。
これまで彼等の曲が公式レーベルからも一切発信されることがなかったのは単純に権利問題だった。
その理由についてはフロントマンである大江慎也が自ら語っている。「レコード会社からは(ルースターズの版権元である)ジェニカミュージックに印税が支払われているのに、15年以上にわたり支払がされていない。またルースターズのサブスクリプションサービスへの配信開始も数年前から言っているがまだ始まらない」のだと。
2023年2月9日大江慎也のブログ
ところが急転直下、今年2023年11月に日本コロムビアレコードにルースターズの特設サイトを開設。さらにはYouTube公式チャネルと各種サブスク配信が一斉にスタートし一気に状況が好転した。これには本当に驚いた。というか管理人は全然このことに一ヶ月ほど気がついておらずほんのつい最近知ったのだ。
毎度毎度ルースターズには驚かされるなと思わず苦笑してしまった。
しかしこんなに嬉しいことはない。
我ら棺桶につま先を突っ込んでるジジイにとっては、またあのビートと大江の唄を車でもどこでも聴けるということになったわけだし、幻となりつつあったルースターズのサウンドが高音質で現代に甦り、いまの若い人たちにも当時のロックンロールの息吹を存分に楽しんでもらえる機会ができたのだから。
和製ロックつまり日本でロックをやるというのはこういうことなのだというお手本のような彼等のサウンドを是非聴いてみてほしい。そこには畏怖も恥じらいも気負いもなく衆の顔色を伺うそぶりもない、ただただ彼等自身が自ら楽しむためのビートが刻まれていて、それがひたすらにかっこいい。
このブログは、サブスク配信に慣れすぎてしまった管理人自らの音楽生活を振り返り、改めてパッケージ(レコードやCD盤)の良さを再確認しようというコンセプトで、それはこれからも当面は変わらないのだが、今回の吉報についてはサブスク音楽配信のありがたさを身にしみて感じるものとなった。
それはまるで東西冷戦にあった東側の若者が、ラジオからノイズ混じりに漏れ聞こえるビートルズのサウンドに夢中になったように、憧れの音楽に対する飽くなき欲求は、それがどんな手段を使ってでも満たされたいと思う、ほとんど本能のような衝動に突き動かされるものだなと再確認するものになった。
なお、この1stアルバムのうち、M-1. “テキーラ”,M-3. “C’mon Everybody”、そして M-4. “Mona (I Need You Baby)” は旧き良きロックンロールからのカバー曲で、M-8. “ドゥ・ザ・ブギー” は同じめんたいロックの(これももはや伝説過ぎるが)サンハウスのカバー、それ以外のナンバーは大江慎也あるいはルースターズのオリジナルとなっている。なお M-10. “どうしようもない恋の唄” の歌詞は、デビュー前に在籍したメンバーでいまや故人となった南浩二(最初のルースターズVo.を務めた)による作詞がそのまま採用されている。
しかしそんな予備知識などおまけのようなもので、全てがこれぞルースターズという和製ロックを気持ちよくやっている。それは決してイギリスやアメリカ人がプレイする本物のロックではないが、これこそが本物の「和製ロック」なのだと思わず笑みがこぼれてしまう。
彼等は本当にかっこいい。ルースターズを聴いたことのない人には彼等の手前勝手な和製ロックを是非とも聴いてみて欲しい。
本年のブログはこれでおしまい。開設以来なんとか毎日更新は継続中。来年もよろしくお願いします。
Origin : | 北九州市, 日本 |
Released : | 1989. 11. 25 |
Label : | 日本コロムビア(Nippon Columbia Ltd = DENON) |
Producer : | Unkown |
Studio : | Unkown |