神器フライングVを駆る神
#0055
あけましておめでとうございます。
今年2024年のブログ初めということで何とはなしにネタを考えていたのですが、お正月と云えば初詣、初詣と云えば神社、神社と云えば、、、、
というわけでお題は「神」ですw
日本のHM/HR(Heavy Metal/Hard Rock)界隈で「神」と云えばこの方しかいません。
ドイツ出身の孤高のギタリスト=マイケル・シェンカー(Michael Schenker)です。このギタリストが”神”と呼ばれる由来は、自身が率いるグループのデビューアルバム『the Michael Schenker Group』の邦題が『神~帰ってきたフライング・アロウ』というタイトルだったということ、唯一無二のギタープレイ、運命に翻弄される孤高のギタリストといったエピソードと共に70年代から80年代を代表するギターヒーローとなったことなどから、いつしか日本のメタルヘッズの間で、彼は「神」と呼ばれるようになったです。
マイケルのギターテクニックそのものは意外とオーソドックスなペンタトニックスケールが基本となっていますが、MSG以降は彼のトレードマークとなった白黒ツートンのオリジナルカラーに塗り分けされたギブソンフライングV(一説にはメダリオン仕様)をジーンズの股に挟んでギターソロを弾きまくる鬼気迫る姿が演奏スタイルの基本でした。また彼のギターに搭載されていたセイモアダンカンP.U.から出力されるエッジの効いた中音域トーンにクライベイビーのワウペダルを踏み込んで得られる多彩なサウンドや、開放弦を多用したドラマチックなギターソロを次々と紡ぎ出すプレイなど確かに神がかったパフォーマンスであり、唯一無二のギタリストであったことは確かです。
彼が「神」と云われ、そのギタートーンとプレイがなにゆえ唯一無二と云われるのか、それは曲を聴いてもらうのが手っ取り早いのですが、おそらく彼のギタープレイの何かが日本人の琴線にも深く触れるのではないでしょうか。
マイケルは兄ルドルフ・シェンカーの影響で早くからギターを手にしており、なんと11歳でアマチュアバンドでプレイ、17歳の若さで兄が所属するスコーピオンズ(SCORPIONS)の1stアルバム『Lonesome Crow』(邦題:恐怖の蠍団)の正規メンバーとしてデビュー。翌1973年にはイギリスのハードロックバンド UFO から誘われメンバーになると1978年までの間に『Phenomenon』(邦題:現象)から『Obscssion』(邦題:宇宙征服)まで5枚のスタジオアルバムやツアーに参加しますが、若くしてドイツを離れてイギリスに渡ることになったためか、言語の異なるメンバーとのコミュニケーション問題、度重なるツアーによるハードワークなどによりやがてアルコール依存が深刻化。アメリカツアーの途中で UFO を脱退してしまいます。マイケルの脱退後にリリースされたライブアルバム『Strangers in the Night』は皮肉にもUFO時代のマイケル最高のプレイが収録されたライブアルバムで、ライブアルバム名盤のひとつとなっています。
UFO を突然降りるかたちで脱退したマイケルはいったんドイツに帰国。兄のもとでスコーピオンズのアルバム『Lovedrive』製作にゲストとして参加することになり、このアルバムでは彼が共同製作したいくつかのSCORPIONS楽曲とギタープレイを聴くことができます。またマイケルのインタビュー等をみると、この時期ジョー・ペリーが脱退したエアロスミスのオーディションを受けたとか、ランディ・ローズ死後にオジー・オズボーンからオファーがあったといった話もありますが、これらのどこまでが本当の話なのか、、、、
いずれにしても彼が求めたのは自身でつくった楽曲を好きなようにプレイできる自分のグループでした。その結果として1979年に自身の名を冠するグループ the Michael Schenker Group を結成。しかしリハーサルとデモ制作後、これから本格デビューというタイミングで、これまでのアルコール依存と薬物中毒の影響でマイケルが入院してしまい当時参加していたバンドメンバーも彼の元を去ってしまいます。マイケルはもはや復帰不可能なのでは?という噂が当時流れていました。
しかしそんなドン底状態から再びマイケル・シェンカーはハードロックシーンに戻ってきます。1980年ようやくセルフタイトル『the Michael Schenker Group』のリリースを果たすのです。そしてこのアルバムの日本盤邦題が先の『神』と名付けられました。
このアルバム参加メンバーはVo.のゲイリー・バーデン以外は全てセッションメンバーで、Bassにモ・フォスター,Keyboardにドン・エイリーそしてDrumsにはあのサイモン・フィリップスという豪華な名手達が揃い踏みした。またこのアルバムにはインストゥルメンタルの名曲 “Into The Arena” を始め、“Armed and Ready”, “Cry For the Nation” といった初期MSGのライブでも定番セットとなる名曲が収録されます。
そして続く1981年には2ndアルバム『MSG』(邦題:神話)のリリースで、ようやく第1期MSGのラインナップが整い、本格的にバンドとしての活動をスタートすることになります。Vo.には1stから引き続きゲイリー・バーデン(Gary Barden)が務め、Bassに元 the Sensational Alex Harvey Band のクリス・グレン(Chris Glen)、元UFOからもマイケルの元バンドメイトだったポール・レイモンド(Paul Raymond)が Rythm Guitar と Key.で参加。そして Drums にはコージー・パウエル(Cozy Powell)が加入します。マイケルにとっては申し分のないバンドラインナップでした。
ゲイリー・バーデンについては、初期MSGにおけるライブでのパフォーマンスの悪さが散々叩かれていましたが、1stと2ndを通じて殆どの楽曲制作に貢献しており、特に彼の歌メロ作曲センスについて、管理人はその才能を高く評価しています。ただ自身がその曲をライブで歌い切れるスコアだったかどうかは、、、、いや本来彼にはその才能もあったはず。
ゲイリー・バーデンの物語についてはまた後日ぜひご紹介したいと思います。
こうしてリリースされた2ndアルバム『神話』は全英アルバムチャートで8週連続TOP100をキープ最高14位、アメリカのビルボード200では最高位81位を記録しています。また日本のオリコンアルバムチャートでは11週連続トップ10を維持して最高位も15位まで上がり日本でも大ヒットとなりました。
アルバムの幕開けを切る M-1. “Are You Ready to Rock” と、M-2. “Attack of the Mad Axeman” はいずれもミドルテンポのハードロックでコージーの力強いドラミングをじっくり聴くことができます。
続く M-3. “On and On” ではポール・レイモンドの美しいシンセサイザーサウンドとゲイリーのファルセットが印象的なナンバー、そして続く M-4. “Let Sleeping Dogs Lie” はマイケルらいしい中音域を活かしたギターリックとチョーキングを多用したソロがカッコイイ!管理人はこの2曲がこのアルバムで最も好きなところです。
しかし当時あまり意識しなかったけれど、こうやって改めて聞き直してみるとポール・レイモンドのキーボードはかなり楽曲に華を添えていますね。レインボーでもアンディ・ナイがリッチーから高く評価されてキーボードソロをステージで披露するといったシーンがありましたが、80年代に入ってハードロックにおいてもシンセサイザーやキーボード奏者の重要性が高く評価されるようになった変化をこのアルバムでも感じます。
アルバム後半の M-7. “Looking for Love” ではこのバンド各パートの魅力がすべて詰まったハードロックの名曲だと思います。奔放に弾きまくるマイケルの嬉しそうな顔が浮かんでくるような会心の1曲です。
このアルバムは全8曲と当時のLPとしてもやや寂しいヴォリューム感でしたが、そのすべてが the Michael Schenker Group というバンドサウンドで構築されており、デビューアルバムでセッションプレイヤーと鬼気迫るプレイを聴かせてくれたものとはまた違って、自身のバンドという中でマイケルはこのアルバムの制作を楽しめていたのでは?という雰囲気を感じさせるハードロックの佳作となっています。
そして2枚のアルバムを引っ提げMSGが来日した模様はライブアルバム『One Night at Budokan』(邦題:飛翔伝説)で聴くことができます。このライブ盤は、東京大阪のテイクからいいとこ取り、さらにはゲイリーのヴォーカルトラックをオーバーダビングしたミックスでリリースされてます。しかしそうした編集にも関わらず、このバンド最強ラインナップでのダイナミックなプレイが伝わる内容になっており、全英や日本でも大ヒット作品となりました。管理人も擦り切れるほど繰り返しながらこのLPで当時のマイケルの生々しいギタープレイを堪能していました。
こうしてようやく安住の地を得たかのように見えた孤高の天才ギタリストですが、実際にはこの2ndアルバムのプロダクションに多くの予算を費やしてしまったことがバンドのその後のマネージメントに影を落としはじめるます。さらに2枚のアルバムとツアー等である一定の成功を収めたことによってマネージメントがバンドの方向性にあれこれ口を出すようになります。まず盟友ゲイリー・バーデンが解雇され、よりスター性のあるヴォーカリストが求められ、 MSG はいわゆるスーパーグループとなることを求められるようになります。さらにはアメリカ進出を意図した音楽性の転換までが求められるようになり、こうしたメンバーや路線の変更によりマイケルはまた運命の荒波に翻弄させられることになります。
この動画は MSG オリジナルメンバーによる最強ラインナップでのライブ映像でなかなか貴重なものです。ただしここでのセットリストは1stからの数曲とUFO時代の名曲が半々くらいとなっており、2ndアルバム収録曲はまだプレイされていません。
ライブになるとクリス・グレンのベースプレイの良さも際立ちます。ゲイリー・バーデンの屈託のない笑顔が悲しい、、、、彼は本当にいいヴォーカリストです。マイケルとの二人三脚体制による MSG がもう少し続いていればどうだったのだろうと考えてしまいますね。
なお管理人は武道館ライブ盤の来日でそのライブに参加することはできませんでした。ちょうど受験を控える中学3年生だったのと、同じ関西在住とはいえどもまだ大阪のライブに夜出かけるのは難しかったです。
管理人がようやくマイケル・シェンカーのプレイを目の当たりにすることができたのは、1984年(管理人は高校3年生になっていた)に開催されたスーパーロック in Japan ’84 という、おそらく海外アーティストが集結する日本最初の本格ロックフェスでした。このイベント関西では大阪南港の特設野外ステージで開催され、カナダからAnvil,まだデビューしたばかりの Bon Jovi ,ベテラン Scorpions, ジョン・サイクスとコージー・パウエルを擁する Whitesnake がトリを務めました。そして the Michael Schenker Group もその豪華なラインナップに加わっていたのです。
興奮のなか MSG がステージに現れ演奏をはじめた時の驚きと悲しみはいまでも忘れられません、、、、その前年にリリースした4thアルバム『Built to Destroy』(邦題:限りなき戦い)でバンドに復帰したはずのゲイリー・バーデンの姿がそこにはなかったのです、、、、
このあたりのエピソードはまた3rdアルバムそして4thアルバム記事でまたご紹介したいと思います。
本年も当ブログをコツコツ更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
Origin : | London, England, United Kingdom |
Released : | 1981. 9. xx |
Label : | Chrysalis Records |
Producer : | Ron Nevison |
Studio : | AIR Studios (London and the Caribbean island of Montserrat) |