3度目のデビュー
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マイケル・ボルトン Michael Bolton はアメリカのシンガーソングライターで、特にAORやソフトロック、バラードポップといったジャンルで「バラードの帝王」として広く知られたシンガーでありコンポーザーだ。
ボルトンは7500万枚以上のレコードを売り上げ、ビルボードチャートで8枚のTop10アルバムと2枚のNo.1シングルを記録。6つのアメリカン・ミュージック・アワードと2つのグラミー賞を受賞している。
ただ売れるまでがなかなかの苦労人でもあった。
1975年に本名のマイケル・ボロティン Michael Bolotin の名前でセルフタイトルアルバム『Michael Bolotin』をRCA Records からリリースしてデビューする。この最初のソロアルバムはかなりブルース色の強い泥臭いアメリカンロックをやっていた。結果的に売れなかったというだけで、シンガーとしての実力はあるので、しっかりブルースロックを唄いこなしているし楽曲もそれほど悪くはない。ただやはりフックする曲がないのも確か。
最初のソロデビューではブレイクを果たせなかったボルトンは、1980年代に入るとハードロックやヘヴィメタルのジャンルに活路を見出すべく、彼をフロントマンとしてギターのブルース・キューリック Bruce Kulick (80年代から約12年間ノーメイク時代のキッス KISS を支えた) らとタッグを組みブラックジャック BLACKJACK というバンドを新たに結成する。
ボルトンは、ミート・ローフ(Meat Loaf)のツアーを終えたばかりだったブルースの兄ボブ・キューリック Bob Kulick にも声をかけていたが、ボルトンの招聘に応えたのは弟ブルースだけだった。しかしこのブルースのギターの実力も確かなものでブラックジャックのデビューアルバムでそれを十分に示している。
バンドは2枚のスタジオアルバムを残し、オジー・オズボーンのツアーでオープニングアクトを務めることもあったが、結局大きなセールスには至ることなく解散してしまう。
ただ2000年代に入って、ラッパーの Jay Z がアルバム『The Blueprint 2 : The Gift & the Curse』の “A Dream” で、このブラックジャックの2ndアルバム『Worlds Apart』収録曲 “Stay” のアルペジオをサンプリングし、しかもそのアルバムがビルボードチャート1位ヒットとなったことで一躍脚光を浴びることになった。
さらに2004年には同じくラッパーのカニエ・ウェスト Kanye West が再びブラックジャックの2ndアルバム収録曲から “Maybe It’s the Power of Love” のメインテーマを自身の “Never Let Me Down” のトラックに採用。女性コーラスで再録したものを使用した。この曲が収録されたウェストのデビューアルバム『The College Dropout』もトリプルプラチナを獲得するヒットとなったことで、再びラップ界隈きっかけでブラックジャックのアルバムが注目されるという珍事が起こっている。
当のボルトンも、2015年にウェブサイト「ジーニアス」の取材では「(新たに)曲が美しく仕上がっている」としてこれらのリテイクに賛意を示している。
こうした変わったエピソードもボルトンが優れたソングライターであることを伝えるひとつの例になっているのかもしれない。
そんな鳴かず飛ばずのボルトンが、いよいよ背水の陣で臨んだかどうかは知らないが、ブラックジャックを解散したあと本名のボルティンからボルトンに変えて心機一転。
再びソロアーティストとして1983年にColumbia Records から1983年にリリースしたのが改名後のセルフタイトルアルバム『Michael Bolton』だった。
オープニング M-1. “Fools Game” からキラキラのシンセバッキングで始まり、全編これでもかという勢いでメロディアスハードな産業ロック聴かせてくれる。そのバックを支える参加ミュージシャンもなかなか豪華で、ブラックジャック時代の盟友ブルース・キューリックに加え兄のボブ・キューリックが参加。さらにはレインボー Rainbow にも在籍しビリー・ジョエルのツアードラマーを務めるドラマーのチャック・バージ Chuck Burgi やカナダ出身のマルチプレイヤー(Gt./Synth.)アルド・ノヴァ Aldo Nova も参加している。(アルド・ノヴァについてはまた改めて)
とにかく産業ロックの良さを目一杯詰め込み、ボルトンの歌唱も楽曲はもちろんバックトラックのプレイまで十分練られた良作だったが、批評も軒並みお芳しいものにはならず、セールス的にもまったくと言ってよい結果となってしまった。
ただ管理人にとっては結構好きなアルバムのひとつで、彼がその後バラードの帝王と呼ばれるようになる時代よりもよく聴いていた一枚だ。
このアルバムをリリースしてからしばらくして、ようやく彼にもヒット曲が誕生する。
それはシンガーではなくソングライターとしてだった。
ローラ・ブラニガン Laura Branigan のために共作した “How Am I Supposed to Live Without You” が惜しくも全米ポップチャートTOP1010入りは逃したものの、1983年のアダルト・コンテンポラリー・チャートで3週連続1位を獲得したのだ。
これにより新生マイケル・ボルトンの名前はまずポップ業界に拡がり、ソングライターとして活躍するきっかけとなったのだ。
この美しいバラードは、1989年にボルトン自身が自らの歌でもレコーディングされ、このバージョンは全米ビルボードHot100のトップを飾り世界的なヒット曲となっている。
ちなみにこの再録でギターを担当しているのマイケル・ランダウ Michael Landau という卓越したプレイに定評のあるスタジオ・セッションミュージシャンで、日本でも浜田麻里や角松敏生、浜田省吾、矢沢永吉、氷室京介、松任谷由実、久石譲といった錚々たる面々のアーティスト作品にも参加している。
ボルトンはその後1980年代後半から1990年代前半にかけてポップシンガーとしても大きな成功を収めることになるが、それはまた次の機会に。
Origin : | New Haven, Connecticut, U.S. |
Released : | 1983.4 |
Label : | Columbia Records |
Producer : | Michael Bolton, Gerry Block |
Studio : |