その変節、天国か地獄か
#0029
ブラック・サバスを脱退したオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)に代わり、レインボーを脱退したロニー・ジェイムス・ディオ(Ronny James Dio)がヴォーカルとなって最初のアルバムがこの『Heaven and Hell』で、バンドにとっては9枚目のスタジオアルバムにあたる。
皮肉にもトニー・アイオミ(Tonny Iommi)にディオを紹介したのは、後にオジーと結婚することになるシャロン・アーデンだったらしい。しかも当初二人はブラック・サバスの継続ではなく、まったく新しいプロジェクトを検討していたようだ。
そしてアイオミとディオの邂逅とそのバンド加入はかつての輝きを失っていたブラック・サバスに再び光を灯すことになる。とは云え、やはり長年フロントマンを務めた超アイコニックなメンバーの交代劇は、バンドがかつてのサバスではなく、全く異質の新しいバンドとなって生まれ変わることを意味していた。
このアルバムの製作にあたりプロデュースを務めたマーティン・バーチ(Martin Birch)は、ディオが1970年代のレインボーで共に仕事をしたエンジニアで、1971年『Master of Reality』でロジャー・ペインと決別して以来の外部プロデューサーを迎えることになった。(その間はアイオミがセルフプロデュースしていた)
このこともまた、ブラック・サバスのサウンドが変化することになる大きな要因だったのだろう。
なお管理人はロニー・ジェイムス・ディオ時代のブロック・サバスを決して否定してはいない。むしろ次作『Mob Ruiles』も含めてこのラインナップ期をとても気に入って聴いている。ただ当時はオジーの後任となるヴォーカリストに対して誰もが懐疑的に受け止めていたことは確かだと思う。それがあのディオであっても。

しかし、そんな疑心暗鬼を払拭するようにアルバムは高い評価を得て、1975年の『Savotage』以来の大ヒットとなりバンドにとっても3番目に売れたアルバムになる。周囲の雑音を当事者であるロニー・ジェイムス。ディオがその実力で見事に捻じ伏せてみせたのだ。
ディオがアイオミの自宅で初めてジャムセッションしたときに書き上げたという M-2. ”Children of Sea” ではそんな彼の真骨頂となるヴォーカルが存分に聴けるし、M-6. “Die Young” に至っては繰り返し聴いているうちレインボーなのかサバスなのか分からなくなるくらいだが、そんなことはどうでもよくなるくらい圧倒的に突き刺さるロックナンバーに仕上がっている。
ちなみに、この曲のMVでもわかるように、ロニー・ジェイムス・ディオこそがHR/HMにおけるアイコン=メロイックサイン🤘(決して親指はダサない)を広く布教した偉大なるお方なのだ。
一方で、アルバムタイトル曲 M-4. “Heaven and Hell” では、トミー・アイオミ節全開の最高すぎるリフから始まり、僅か4小節でこのバンドがいまだブラック・サバスであることを雄弁に語っている。
こうして、この『Heaven and Hell』というアルバムはブラック・サバスにとって大きなターニングポイントとなっただけでなく、いまでも歴史的な名盤として燦然と輝きを放ち続けている。
やがて2000年代に入り、バンドが紆余曲折を経たのちに、このディオ時代のラインナップで再集結した際、そのバンド名を敢えて BLACK SABBATH とはせず HEAVEN AND HELL としてレコーディングとツアーを行ったことはとても象徴的な出来事だったと思う。(それがオジーへの配慮であったとしても)
2010年にロニー・ジェイムス・ディオが他界したことでこのプロジェクトも終焉を迎える。そして管理人にとっても、2007年さいたまスパーアリーナの『Loud Park 2007』で彼とその仲間達が楽しそうに、そして誇り高くこのアルバムのナンバーをプレイする姿を観たことは、決して忘れられない思い出になっている。
このアルバムでバンドはその輝きを取り戻したことは事実だし、それがかつてのオジー時代とは全く異なるバンドになっていたことも事実だが、それはブラック・サバスが歴史に語り継がれていくために避けることのできない「変節」だったのだと思う。
Origin : | Birmingham, England, United Kingdom ![]() |
Released : | 1980. 4. 18 |
Label : | Vertigo Records |
Producer : | Martin Birch |
Studio : | Criteria Studios (Miami, US), Studios Ferber (Paris, France) |